日本初、クラウンが病院を訪問! 前例のないことに取り組むまこっちゃんたちクラウンの奮闘とは?

 さらにイメージチェンジを図ったまこっちゃんの新しい衣裳はいままでと一転してちょっとドレッシーでシンプルなデザイン。これは現在に至る衣裳の原型です。以後、部分的に少しずつマイナーアップしながらもこのデザインの衣裳が続いています。

5:研鑽期(3)病院編

 そして93年12月16日。

 杏林大学キャンパス内にある松田記念館にてクラウンカレッジ・ジャパン3期生を中心としたクラウン5人でステージショーを行うことになるのですが、それは同じ敷地内にある杏林大学付属病院主催のクリスマス・イベントでした。当初はクラウンによる、病室を順に回ってクリスマスのキャンドルサービスをするという話だったのですが、そこから発展して、ステージでショーをやりましょうということになったのです。杏林大学付属病院というと、かなりの重症者が緊急搬送されてくる病院としてもよく知られています。イベントが決定してから、多くの入院患者さんがクランショーを楽しみにしているということでした。しかし、当日主治医の許可が出ずショーを見ることができない患者さんもいらっしゃるとのことで、病棟のフロアや病室でもミニ・パフォーマンスをしてほしいという要請がありました。

 アメリカではビッグアップル・サーカスが85年からクラウン・ドクターと呼ばれる、病院でパフォーマンスする専門家の育成に取り組んで実績を残していましたが、当時そういった情報の詳細はほとんど日本には入っていませんでした。もちろん日本国内では、クラウンが病院に行ってパフォーマンスを行うということはまったく前例のないことです。クラウンカレッジ・ジャパンの先輩クラウンたちも経験がないので相談もできません。そこでコージ(現・ふくろこうじ)、きのっぴ、そしてまこっちゃんが病院側との事前打ち合わせを重ねながら、さらに当日も手探りな感じで病棟パフォーマンスを実施したのでした。

 とりあえずショーに関しては、特に病院で行うということは意識せずいつものように実施するということでメンバー内の意見が一致しましたが、病室を個別に巡回してミート&グリートを行う点についてはかなりディスカッションしました。まだ医療機関に精神的緩和に関する専門的な部門がなかった時代です。とにかく自分たちで考えうることを徹底的に検討しました。クラウンとして入院患者さんひとりひとりとどう関わるのがベストなのか? 重傷を負った患者さんもかなりいらっしゃる病院です。笑いをもたらすことが不謹慎になったり患者さんの心を傷つけたりしないよう成立させるにはどうしたら良いのか? とにかく無理強いはしないで、「笑わせる」ではなく「笑ってもらう」、患者さんから笑いを引き出す、という方針を固めました。さらに、それを実施するには具体的に何をしたら良いのか、意見を出し合い、練習を重ねました。

 当日、病室ではクラウンの訪問を楽しみにされていた患者さんが多く、まこっちゃんたちが行くと大歓迎されました。とにかく病院でのノウハウがないクラウンたちだったので、様子を探り探り、見方によっては遠慮しながらな感じで始めましたが、徐々に患者さんたちと打ち解け、それぞれの病室でミニショーを展開し、どうにかこうにか患者さんたちに楽しんでいただくことができました。

 松田記念館でのステージ・ショーも、客席には点滴台を携えた患者さんも多くいて、かなり大掛かりな機械に囲まれた状態で見ている患者さん、そして看護師・医師も緊急時に備えて配置され、患者さんによってはショーの途中で容態が急変する場合もあると事前に聞かされていて、クラウンチームも今まで体験したことがない緊迫した雰囲気の中で行ったショーでした。とはいえ、病室巡回という大ミッションを終えていたので、ステージ上ではのびのびとパフォーマンスを行っていました。

 結果的にこのショーと病棟でのパフォーマンスは患者さんたちには大好評で、治療の関係上どちらも見ることができなかった患者さんからもぜひ見たかったとの声が強く、翌年以後も声を掛けていただいて、杏林大学付属病院のクリスマス恒例行事になっていきました。

 ということで、クラウンが病院へ訪問するというのは、日本ではこれが初めての画期的な事例となったのでした。

 翌年のショーは患者さんが夢の世界に入っていってラストはクラウンになるというストーリー仕立てでした。ショーに出る患者はサクラで客席に入ってもらったマリンメディアのスタッフ鹿島くん。彼は実はクラウンカレッジ・ジャパンに入りたくて大阪から上京したのにクラウンカレッジがなくなってしまったので、なんとかクラウンの近くでクラウンに触れていたいと株マリンメディアに入社した新人スタッフでした。学生時代は体操をやっていたこともあり、クラウンに憧れていただけあって身体もよく動くので、後半はダンスに入ってもらって、フィナーレは赤い鼻をつけてステージのセンターでポーズを決めるというエンディング。夢のあるなかなか良いショーだったのではないかと思います。マリンメディアに当時の録画映像があったはずなのですが行方不明になってしまっているのがとても残念です。ちなみに、これが鹿島くんのクラウンデビューになりました。後年大阪に戻った鹿島くんはチムチム・サービスというユニットを作りクラウン・カッシーとして大活躍することになるのですが、それはまた別の話。

 クラウンではないけれど、アメリカでは60年代から医師のハンター・アダムスが治療に笑いを取り入れるため赤い鼻を付けていましたが、これはまこっちゃんたちが病院でパフォーマンスを始めてから5年後にロビン・ウィリアムス主演で映画化され、日本でも公開されました。

 2005年には先駆けとなる日本クリニクラウン協会や草分け的存在の日本ホスピタルクラウン協会がともに設立され、さらに2012年には病院だけでなく高齢者施設、養護施設、難民キャンプ、被災地、刑務所などを訪問するケアリング・クラウンの協会も設立され、現在では医療施設へのクラウン訪問におけるガイドラインやルールも制定されています。

 まこっちゃんたちはあくまでもクラウンとしてエンターテイメントをお届けする、言ってみれば「訪問公演」という趣旨で病院を訪問していたので、精神的な緩和や癒しはどちらかというと結果的にもたらされるものであって本来の目的ではなかったこと、そして、現在のガイドラインやルールがクラウンの本質と相入れなくなってしまっている、などの理由により病院訪問パフォーマンスは行なわなくなりました。

 この頃になると株マリンメディアは、イベントコンテンツとしてのクラウン出演だけでなくクラウンカレッジのノウハウを生かしたクラウン育成事業を始めます。まこっちゃんは直接関わりはしなかったのですが、これが新たな問題を起こすことになるのです。それは……

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