テーマパークの相次ぐ廃業と大規模イベントの減少に代わるように増えてきたのは? 新時代にまこっちゃんは……

11:移行期ショッピングモール編

 横浜市営地下鉄の新横浜~あざみ野間が開業してから5年後の1998年4月25日に「港北東急百貨店S.C.(現・港北 TOKYU S.C.)」が開業しました。造成事業が完了したばかりの港北ニュータウンの中にある、センター南駅前の大型ショッピングモールで、全国に展開するシネマコンプレックスの109シネマズが最初に開業したところでもあります。そのオープン式典に旧・クラウンカレッジ&バナナサーカス出身のクラウンが大集合しました。商業イベントでこれだけの人数のクラウンが出演したのは日本のイベント史上おそらくこれが最後ではないかと思います。

 通称リゾート法といわれる総合保養地整備法(87年制定)にも後押しされて、全国各地に観光の目玉とするためテーマパークと銘打った様々な施設が計画され建設されたのが90年代前半。ところがバブル崩壊後の平成不況で赤字施設が増え始め、廃業によりテーマパークは一気に激減しました。同時期に東京都市博の中止をきっかけに博覧会などの大規模イベントも激減しました。それにとって変わるように、大規模小売店舗立地法(大店立地法)が制定され、2000年代に入ってモール型ショッピングセンターが大きく増え始めたのでした。(その後、大型商業施設が商店街や近隣自治体に悪影響を与えるとして2006年にまちづくり3法が改正され、店舗面積1万平方メートルを超える郊外型施設について建設の抑制がかけられました)イベント業界の大きな変動期でした。

 港北百貨店S.C.開業式典のように大勢のクラウンが出演するようなことはありませんでしたが、2000年代に入ってからはもっぱらショッピングモールなどのイベントアトラクションに出演することが増えました。

 時は遡り、1993年11月5日、日本における現在の大型ショッピングモールの原型とも言える、通商産業省(現・経済産業省)の特定商業集積法第1号認定を受けて下松市などが中心となって整備した商業・文化集積施設「下松タウンセンター」の商業施設として「ザ・モール周南」がオープンしました。日本における記念すべきこの第1号大型ショッピングモールの歴史的開業イベントで実はクラウン6名がショーをしたのですが、出演していたクラウンのうちのひとりがまこっちゃんでした。この日から日本のモール型ショッピングセンターの歴史が始まったのです。

 このショッピングセンターのイベント・アトラクションにクラウンはよくはまりました。お客様を巻き込んで笑わせて、ジャグリングがビシッと決まるような見せ所もあって、でもほどよく手軽感があって、ショッピングの合間にちょうど良かったのかもしれません。このように日本の大型ショッピングモールの第1号のオープンからすでにイベントでクラウンは関わっていて、そこにまこっちゃんもいたのです。

 全国的にショッピングモールが増えつつある一方で、イベント業界の情況は下り坂で、毎年恒例だったイベントがなくなったり、同名イベントは続いているものの、ステージショーやアトラクションがなくなって代わりにフリーマーケットになったりと、かなり変動していた時代でした。銀行や金融機関の破綻によりメインバンクを失った大手企業の共倒れ倒産が相次いだのもこの頃のことで、大きなイベントに企業スポンサーが付きにくくなっていたのです。社会保障を省略できる「派遣労働者」が脚光を浴びるようになったのもやはりこの頃でした。

 ショッピングモールの案件が増えて、まこっちゃんにもソロで出演の依頼が圧倒的に増えましたが、その背景には大道芸ブームがありました。

 野毛大道芸を立ち上げたIKUO三橋さん始め、プロの人たちが表現手段のひとつとして大道芸を始めたのが第一世代とすると、イベント業界の低迷で行き場を失ったクラウンカレッジ・ジャパンの出身者が大道芸に流れていったのが第二世代で、クラウンカレッジで培われたノウハウを生かしたスタイルで大道芸ブームが起こりました。ギャグで笑わせ技で見せるジャグリングというスタイルがひとつの型として定着してきた頃です。TVチャンピオンに輝いたMr.アパッチなど、クラウンカレッジ出身者以外で大道芸ブームの火付け役を担ったパフォーマーもいます。そして、その大道芸ブームの頃に大道芸を見て、大道芸に憧れて、プロではなくいきなり大道芸人としてデビューした人たち、第三世代の人たちが台頭してきたのがちょうどこの頃だったのです。ちょうど東京都などでヘヴンアーティスト制度が始まって大道芸の認知度が上がり、表現としての市民権を得られつつある一方で、第三世代の大道芸人の増加により、パフォーマーのギャラの価格破壊が起こりました。それどころか、投げ銭で稼ぐのでギャラはいらないという大道芸人まで出てきてしまいました。

 依頼する側も、安いギャラ、場合によっては交通費だけでそれなりの集客が望める大道芸をもてはやすようになりました。ギャラが安くても大道芸人は投げ銭で稼ぐのでそれでも良しという考え方が定着しつつあったのです。その一方でプロでベテランのパフォーマーの仕事が減っていきました。

 まこっちゃんはもともと大道芸人ではないし、大道芸はやっていないのですが、そのような理由もあって大道芸枠で声がかかることも多くなってきました。そして提示されるギャラもかなり安いものになってしまいました。

 まこっちゃんが意識的に大道芸と差別化を図るようになったのはこの頃からです。

 もともとまこっちゃんはクラウンカレッジ・ジャパンの先生からクラウンのモットーとして〝投げ銭を要求しない〟ことを教えられました。「クラウンは夢の中の住人なんだから、夢の住人がマネーをプリーズするのはおかしいでしょ? サンタクロースやディズニーのキャラクターたちがマネーをプリーズするかな? チップを受け取るのは構わないけど、クラウンはマネーのプリーズはしないんだ」ということで、そのモットーを守っているのです。なので、もし大道芸をやったら投げ銭をプリーズしない限り稼ぎがないということになります。なので、仕事のスタイルそのものが大道芸とは違っているのです。

 ということで明らかに大道芸案件とわかる仕事はお断りしていました。

 そんなこともあってまこっちゃんは、今までの商業イベント中心から、神社のお祭りの奉納芸能、子供会のイベント、結婚披露宴、コンサートや講演会の余興コーナー、幼稚園や福祉施設など、じっくりとクラウンを見てもらえる場を選ぶようになりました。しかし、世間ではショピングモールが増えるにつれ大道芸へのニーズが増える半面、ちゃんとしたクラウンを見せようとするまこっちゃんの仕事の数は減る一方でした。

 それでもクラウンというものに理解を示してくださり、長年にわたり毎年呼んでくださる商店街などもありました。

 クラウンというとやはりまだまだ日本では認知度が低いので、クラウンよりも大道芸の方がわかりやすくイメージしやすいということもありました。そこでまこっちゃんは、今まで以上にクラウンを周知する活動にもいっそう力を入れるようになりました。

 仕事が減ってきて苦しい時期でしたが、しかし、まこっちゃんのパフォーマンスのクオリティがかなりレベルアップした時期でもありました。

 なんとか楽しんでいただけるように、いろいろ新しい演目なども作りましたが、面白いことに、長年ずっとやっているネタの方がお客様の反応がどんどん良くなっていって、まこっちゃんも古いネタをやることがどんどん楽しくなっていったのです。飽きるどころか毎回ものすごく新鮮な気持ちでできたので、せっかく作ったのにお蔵入りした新ネタがいくつもありました。ただ、古い演目をずっとやり続けただけでなく、新ネタも作り続けていたからこそ、古い演目もどんどん良くなって精度も鮮度も上がっていたのかもしれません。

 そのように、時代の流行に抗うようにしながらも何とかクラウンとして生き残ってきたまこっちゃんに新しい流れが訪れます。それはさらに新しい道を切り拓くきっかけとなりました。

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One thought on “11:移行期ショッピングモール編

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