まこっちゃんに訪れた、ある意味黄金期とも言えるこの時期にどんなショーをしていたのでしょうか?

9:励起期対位旋律編

 95年に震災後の神戸でショーをしたことで自分にとってのクラウンとしての新しい方向性を見出したとまこっちゃん、その時代の集大成的なクラウンショー、題して『FUNKY PUNKY’95』を作って公演を行いました。それはクラウン4人が出演するバラエティ・ショーでした。今につながる、当時確立された〝クラウンまこっちゃん〟としての要素がすべてつまったショーで、ジャグリングやダンスもふんだんに入っていて、振り付けもぜんぶ自分でやりました。また、4人がステージを走り回るようなダイナミックなギャグも作りました。こういうのがやりたかったんだ、というものを全て盛り込んだ感じです。5~6時間の稽古を何日も行って本番を迎えたものでした。ショーのタイトル『FUNKY PUNKY’95』というのは、当時のALFEEの曲名から戴いています。上手かどうかは別として、まこっちゃんはダンスは大好きなので、振り付けを考える時間は楽しかったようです。

 そんな風に、そういった自分的要素は表現として発揮できたとは思うものの、グループで行うショーを自作するのは、残念ながら今のところこれが最後の作品となってしまっています。というのも、まずはクラウンカレッジ・ジャパン出身のクラウンたちがクラウン以外にも新しい道を模索し始めたということと、財政面で緊縮傾向にあったイベント業界ではもう大人数のクラウンを発注しなくなってきていたため、出演者として必要な人材の頭数を揃えにくくなってきたと同時にそれを乗せるステージの仕事との結びつけが難しくなってきてしまったのです。

 96~97年ごろから仕事もあきらかに変化してきました。大きな商業イベントに行くことはだんだん減ってきて、幼稚園や学校、福祉施設などに行くことが増えてきたのです。規模的にも予算的にも、ソロかペアのショーが増えていました。

 その一方でまこっちゃんは、役者有志が集まり東京の三鷹で行われていた「MITAKA Works」に関わるようになりました。MITAKA Worksは当時宝塚の舞台監督だった藤村信一氏が自らライフワークとして立ち上げた継続的なワークショップで、何かの作品のための稽古ではなく、バレエのバーレッスンや声楽の発声練習などのように、俳優が出演する作品のあるなしに関わらず日常的に行うレッスンとしてなにを行ったら良いのかを模索するというワークショップでした。そこにまこっちゃんは藤村さんのアシスタント的な役割で関わっていました。参加者の中にはテレビドラマなどに出ている役者さんもいたし、小劇団の役者さんだけでなく宝塚の人、吉本のお笑いの人などわりと多岐にわたっていましたが、みなさんすでにそこそこの実力者が揃っていました。たまに外部講師をお招きすることがあり、まこっちゃんも知り合いの山本光洋さんにパントマイムのレッスンをお願いしたりしたこともありました。まこっちゃんはアシスタント的とはいえ、エチュードの見本で参加者の前で実演したり、時には参加者と一緒に発表公演に出演したりもしていて、このワークショップでの経験や影響がそのまま現在の『クラウン的な稽古会』にも反映されています。そのぐらい虎の穴的な強烈なワークショップでした。「MITAKA Works」はとにかく自分の殻を破って少しでも成長したいと願う人達がプロアマ問わず、キャリアにもとらわれず参加するパターンが多くてとても熱気に溢れていました。MITAKA Works出身者には時間堂の鈴木浩司さん、タレントの中川哲さんなど現在活躍中の俳優もいます。そしてさらに、クラウンのスーリーもMITAKA Works出身者のひとりです。といっても、スーリーが参加していた頃はすでにまこっちゃんはMITAKA Worksから離れてしまっていたけれど。また時間堂では現在MITAKA Worksの要素を引き継いだような演技のワークショップを開催しているらしいです。

 97年にはクラウンと音楽の融合ということでアマチュア・トロンボーン・アンサンブル楽団Mr.Bonesとクリスマスコンサートで共演しました。2017年には結成二十周年記念コンサートを開催し、現在では50名近いメンバーが在籍しているMR.Bonesですが、まこっちゃんたちクラウンと共演したこのクリスマス・コンサートが記念すべき第一回の演奏会なのでした。

 97年以後は毎年定期的に神戸のイベントに多数出演することが続いていました。その頃のクラウンの仕事はだいたいがペアでのオーダーが多かったので、まこっちゃんは『FUNKY PUNKY’95』に出てもらったメンバーの誰かと組むパターンが続いたのですが、なかでも多かったのがクラウンたっことペアになるパターン。

 たっことペアのショーはとても完成度の高いものでした。お互いの持ちネタをうまく融合させてひとつの作品に仕上げたショーがいくつもできました。そこにお客様の反応が加わることでさまざまな化学反応をもたらし、多様な可能性を秘めたパフォーマンスとなっていました。音楽、ダンス、ジャグリング、マジックなどさまざまな要素が含まれていて、バラエティ豊かなショーが出来上がっていました。そこで、音楽用語の「対位旋律」にちなんで「ポリフォニー」というコンビ名もつけて、5年間ぐらい関東、東海、関西を中心にさまざまな場所でショーを行ったのです。ポリフォニーのショーが関東と関西の他に東海地方が含まれるのは、当時たっこが三島に住んでいたからでした。三島、沼津、富士、裾野、あとは西伊豆あたりに行くことも多かったのです。

 この時期はある意味まこっちゃんのパフォーマンスのひとつの完成期でもあり黄金期でもありました。かなり完成度の高いショーを繰り広げていたのです。しかし、2001年に入って、たっこの結婚に伴い、ゴールデンウィークの神戸でのイベントを最後にこのコンビは消滅しました。また、このイベントがまこっちゃんにとって神戸での最後のイベント出演となりました。

 そんなポリフォニー時代からコンビ解消後にわたって4年ぐらい連続でまこっちゃんを呼んでくださったイベントがありました。御殿場の『高根どんたく』というお祭りのイベントステージです。

 当時、このイベントにはアニメ系のジャンルのゲストが出演されることが多くて新鮮でした。

 ご一緒したゲストで忘れられないのがまずドリーミングのデュオ。『アンパンマン』の主題歌でおなじみですが、童謡をスイッチボーカルで歌ってもどこで入れ替わったかわからないぐらいのクオリティでさすが双子! と感心したものです。

 そしてもう一人は堀江美都子さん! 『あくび娘の歌』も歌ってるし『キャンディキャンディ』も歌ってるし『花の子ルンルン』も歌ってるし、『ひみつのアッコちゃん』のアッコちゃんだし、『Dr.スランプ』ではキャラメルマン4号オボッチャマンくんだし他にもそれはもう数知れず……のアニメの女王ですよ! ライブですよ! 生歌ですよ! 高根どんたくでの堀江美都子さんのことは本当によく覚えてます。あまり天気が良くなかったのですが堀江美都子さんのライブの時間帯は激しい風雨のようになってしまいました。それでも集まってくれたファンのために歌い、「こんな天気になっちゃってごめんなさいね!」ってステージから何度も謝ってました。天気は堀江さんのせいじゃないのにね。袖から見てて心のあるひとだなぁ、と思ったものです。堀江さんのファンも最前列じゃなくて両サイドに陣取っていて、一般客のために客席の中央を空けているのを見て、なんて良識のあるファンなんだろうと感心しました。さすがですね。

 抽選会では堀江さんとまこっちゃんとで交互に番号を引きました。で、一等賞の番号を引く時はやはり堀江さんに譲ったのですが、堀江さんが「じゃあ一緒に引きましょう」と言ってくださって一緒に引いたのも良い思い出です。堀江さんは見た目には同年齢にも見えるし下手したら年下?と思えなくもないけど、自分が幼少の頃にはもう活躍してた人だし間違いなく年上なのですが……失礼ながらいったいいくつなんだろう、なんて思ったりしたものです。そんな感じで、まこっちゃんが堀江美都子さんと同じステージに立てた、というとても思い出深い出来事でした。

 ポリフォニー解散後、まこっちゃんはもっぱらソロのパフォーマンスで仕事をするようになりました。『FUNKY PUNKY’95』に出演してくれたほかの仲間も海外に行ったり拠点を関西に移したりと、それぞれバラバラになり、なかなか一緒に稽古をすることもままならなくなってしまったのです。かといって、ほかにすぐにペアで組める人材も見つからず、デビュー後のある時期と同じようにソロで出演する機会が続きました。

 この頃からやっているのがハンドベルのネタです。ポリフォニー時代の演目で、ハンドベルの演奏がだんだん早くなるというのは元はたっこのアイデアでした。でもその時は、二人で譜面台や楽譜を取り合ったり、演奏ポジションを取り合ったりして、演奏の主導権を取った方が早くなる伴奏について行けなくなってしまう、という内容でした。ソロバージョンはたっこもやっていたので、まこっちゃんもやっていいかどうかについてたっこの了承を得て、その後コンビでやることがなくなった後もずっと持ちネタとして続けているのです。最初は机の上にベルを並べて演じていましたが、やがてトランクケースを台にするアイデアが加わって、その後さらに進化を遂げて今に至ります。まこっちゃんは今ではこのネタだけはどこでも必ず演目に入れています。演奏部分だけになり、さらにシンプルになった反面、長年にわたり練り直され、なぜ面白いのかわからないほど面白いネタになっています。

 クラウンとして黄金期を迎えていたまこっちゃんですが、世間的にはまだまだ無名です。しかし、そんな無名のまこっちゃんが有名俳優と名前を並べる出演映画があります。それはクラウンとして活動を続けていたからこそできた演技だったと言えるのではないでしょうか。

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One thought on “9:励起期対位旋律編

  1.  まこっちゃんの現在のショーの原型はこの時期に作られたものです。そんなまこっちゃんのクラウン・ショーを、あなたのために出張公演いたしますので、ぜひご依頼ください。
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