この神戸編にはまさに奇跡的な後日談がありました。2012年、17年の時を経て巡り会った奇跡とは?

8:新生期神戸編(後)

 長田地区に隣接する板宿商店街は唯一アーケードが焼け残った場所ということで、周辺の人々が集まる生活ステーション的なエリアになっていました。子供達も多いけれど遊ぶ場所がない。大人たちも復興作業があるので子供達のことまではなかなか手が回りません。そこでこどもの日に子供のためのイベントを開くことになり、主催者側からの強いご要望で、まこっちゃんはゴールデンウィークにふたたび板宿でクラウンショーを行うことになったのです。それが好評を博してさらに11月の連休にも板宿からショーの依頼をいただくのですが、それが神戸の復興関係者、といっても当時の神戸のことなので行政的にも区分が曖昧だったのだけれど、担当者の耳に入ることになり、板宿商店街のショーに前後して、11月3日、まこっちゃんはシモンズの北川ユミさん、たけし軍団のそのまんま東さんらと一緒に『復興神戸港・みなとのウォークラリー』に参加しました。

 ウォークラリーでは、まこっちゃんたちクラウンは参加していた市民のみなさんと一緒に全コースを歩きました。まぁ、クラウンはただ歩くだけでは済まないので想像以上に大変な道のりだったけれど。そのまんまさんなんて、普段から走ってるしあの頃はトライアスロンとかやってるんだから、一緒に歩けば良かったのにね、なんて思ったりもしました。

 で、4日に板宿でショーをして、5日はルミナス神戸Ⅱの神戸港復興クルージングで船上パフォーマンス。ジャズバンドとの変なセッションが大好評。復興担当者さんも実際に見て気に入ってくださったようで、その後の公式な復興イベントにもまこっちゃんたちを呼んでくださるようになったのですが、その全部がギャラの出る仕事でした。
 そして96年7月20日海の日(当時)、震災後10年は開催不可能だろうと言われていた『神戸まつり』が復活することになり、例の神戸のイベント会社の社長さんからまこっちゃんに連絡が来ました。「パレードにうちのサンバチームが出るんですけど、クラウンにも来てもらいたいんです」——聞くと、企画的にはクラウンショーの枠はなかったのだけれど、どうしても来てもらいたいので会社から経費を出してくださるとのことでした。じつはこの社長、日本初の民間のサンバチームを結成した歴史的人物で、東京浅草のサンバカーニバルが始まる頃にはアドバイザーとして準備段階から関わっていた人でもあるのです。
 震災から1年半が過ぎ、新幹線も復旧していたので当日神戸入りして、直接生田神社会館の控え室で準備してサンバチームと合流。すると社長さんが「クラウンさんたちは先頭を歩いてもらいますのでよろしく」というのでまこっちゃんたちはサンバチームの前でスタンバイしていました。生田神社の境内がスタート地点になっていて、そこで列を作ってからパレードがスタートするのです。被災地なので凝ったフロートなどはなかったけれど、かなり華やかな行列が準備されていました。サンバチームはさすがに真ん中あたりの良いポジションにいます。スタート30分前になると神戸まつりのスタッフが各チームのスタンバイ情況を確認に回ってきました。そしてまこっちゃんたちは「クラウンさんたちはこちらです」と言われて別の場所に案内されたのですが、なんとその場所とはパレードの先頭でした! 社長さんの言っていた「先頭」ってサンバチームの先頭だとばかり思っていたら、パレードそのものの先頭だったのです! 

 驚いてる間もなくすぐにパレードがスタート。クラウンたちの後ろに大きな『神戸まつり』のプラカード、そして前には警備員さんと誘導スタッフしかいないという、本当に先頭の先頭でした! 

 神社の楼門を出たら半円状にたくさんの報道陣が待機していて一斉にフラッシュがババババッと焚かれさらにびっくり! まぁ、そりゃそうですよね先頭だし真後ろに『神戸まつり』って書いてあるのが続いてくるしそりゃ撮影するでしょうね。この様子は(まぁ、当然そうだろうけど)全国的に報道され、夕方ホテルに戻ると「いやぁ、まこっちゃんたち6時のニュースはどのチャンネルにも映ってましたな~」と声を掛けられました。ほとんどの局がトップで、生田神社の門から出てきたところの映像を使っていたらしい。まこっちゃんは神戸の人でもないのになんだか神戸復興の代表みたいな感じになってました。

 フラワーロードや南京町、元町を抜けてハーバーランドまで、先頭はクラウンだけだったので音楽もないから物足りない気がしなくもなかったけれど、沿道を埋め尽くさんばかりの人出で大盛況でした。

 夜にもパレードがあり、こちらはサンバチームと一緒に歩きました。

(当時の写真がないので『神戸まつり』の昼パレードの写真またはニュースなどの録画映像をお持ちの方がもしいらっしゃいましたらご提供お願いいたします)

 さて、この神戸編には奇跡的な後日談があります。

 2012年に、兵庫県に拠点のある知的障害者によるクラウン集団ぐりぃとのメンバーによるクラウン公演『土曜日の天使達』の視察のためにまこっちゃんは10年ぶりに神戸に行きました。昼公演終了後、横浜までの帰りの高速バスの発車時刻までだいぶ時間があったので、ふと思い立って、震災後最初にショーをしたあの板宿商店街に行ってみることにしたのです。震災以後17年の時を経て訪れる板宿商店街です。

 商店街は綺麗になっていましたが、あの日、大人も子供も大熱狂した、ある意味まるで夢のようなステージがあったあの場所は、今ではもう、ただの道端、ただの壁でした。

 復興して人々が普通の生活を取り戻してゆくということは、こういった何の変哲も無いものに戻ってゆくということなのでしょうね。

 まこっちゃんはそんなことを思いながらアーケードを歩いてみました。

 当時のステージ・ショーの写真で最前列にいる小学生の男の子はすっかりクラウンにはまってしまい、その後何年もまこっちゃんたちがショーをやるたびにひとりでメリケンパークや西宮まで出かけてきていたのですが、彼はこの板宿商店街のとある店舗の息子さんでした。そのお店を訪問して、当時役員だった親父さんがいらっしゃったのでご挨拶すると、家を出て自立した息子さんはスポーツジムで関西では人気のインストラクターになっているということで「アイツももう30前のオッサンや」と言って笑っていらっしゃいました。

 震災後の初めてのショーの時は、東京のテレビ局が取材に来る予定でしたが、例のオウム教団施設強制捜査に撮影クルーが大挙して駆り出されてしまったため、当時番組キャスターだった鳥越俊太郎氏が一人で取材に来ていたことや、当時オリックスだったイチロー選手が義援金のためにホームランを打った時のバットを出品してオークションしてたことなど、いろいろ思い出しました。

 そんな感じで板宿商店街をぶらぶらしていると、ふと見たことがある顔ぶれが!

 何と、まさにあの日まこっちゃんたちを神戸に呼んでくださったイベント会社のスタッフの面々、そしてあの社長さんがそこにいたのです!

 まさかここで会うとは思わなかったのでとても驚きました!

 まぁ、向こうの方が、まさか神奈川県民のまこっちゃんが観光地でもないそんな場所をうろついているとは思いもしなかっただろうから、きっともっと驚いたでしょうけど。

 みなさんは、この日まさに板宿でイベントを終えて撤収作業が終わったところだったとのことでした。社長さんが「ついさっき、震災後にここでまこっちゃんたちに来てもろてクラウンショーをした時の話をみんなでしてたんや!」と言って目を見開いていました。

 この日ここで再会するか⁉︎

 巡り合わせというか、時のいたずらというか、こんな偶然もあるのだと本当に驚きました。

 社長さんはまこっちゃんに夕食をご馳走してくださいましたが、本当に楽しくて幸せな再会でした。

 95年、被災地神戸とクラウンとして向き合ったまこっちゃんは、その後完成度の高いクラウンショーを連発します。それは完成期でもあり黄金期でもありました。

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One thought on “8:新生期神戸編(後)

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